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腐った世界や見識を一刀両断にしたり、逆に一刀両断にされるブログです。あるいはただの与太話。
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時間と祝祭について
 新年を迎える瞬間、帰省先の田舎で屋外を歩いていたのである。すると0時に近隣の遊園地から、花火が上がって夜空に炸裂した。こんなところでも無駄に時間に正確なのが日本らしいというか、0時数秒前に打ち上げて、ちょうど新年の瞬間で空で爆発するようになっているのであった。ほんの5分ほど、次々と寒空を色どる花火を楽しむことができた。これは遊園地のニューイヤーイベントの一環らしい。
 そのひとときが終わってしまうと急に空しさがこみ上げてきた。真夏の花火大会ではないので量的・時間的に非常に不満なのだ。花火は美しければ美しいほど、また短ければ短いほど終わったあとが空しいものらしい。そして考えた。本当に新年は目出度いのだろうか? 新年をなんの疑念も挟まずただ豚のように祝うのは、恥ずかしい行いではないだろうか? TVを見るがいい(いや、ここ何年かおれっちはほとんど見てないが)。大口をあけて笑う白痴芸人が、アケマシテオメデトーを連呼し、相も変らぬくだらないお笑い芸を繰り広げているではないか(見てないが、きっとそうに違いない)。幻覚おじさんはここで小市民のように新年を享受しようとしていた自分に少し違和感をおぼえた。
 言うまでもなく、1年365日というのも人間が勝手にきめたルールであるし、うるう年もうるう秒もある。実は新年というのはただの区切りに過ぎず、それもたびたび物理的絶対時間からずれるいい加減なものなのだ。太陽系の他の惑星にいけば一年の長さも一日の長さも違う。そもそも物理的絶対時間というものですら存在するのか? 原子時計でさえ理論的に狂うのだし、アインシュタインが予言したように(まあ幻覚おじさんの理解はブルーバックスらべるだけださ)、時間の流れは宇宙の各所で一定ではない。では新年とは何ぞや?誕生日とは何ぞや?記念日とは何ぞや? ……などと演繹していくのは実に無粋で文化破壊的思考なのはわかっているつもりだが、少なくとも世紀末だといって必要以上に怯えたり、おかしなオカルトに嵌ったりするのは無意味ということだろう。
 寒空の下、すぐに終わってしまった光の乱舞のあと、幻覚おじさんは考えた。どうせなら毎日楽しいほうがいい。新年の期間だけでなく、毎日を祝祭にしてしまえば何時でも楽しいではないか。そうだ、その方がきっといい。

 そういえば、近頃のネットはわりとあけおめの挨拶が少ない気がする。連続する日常がずっと続く空間だからだろうな。時間的に連続なだけでなく、インターネット時代になって空間的も地球がフラットな空間になってしまった(もちろん接続されていない地域がまだ多数あるのを忘れてはいけない!)。永遠に祝祭がつづく世界、それがネットなのだろう。
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